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津地方裁判所四日市支部 昭和48年(ワ)67号 判決

原告 黒宮孝市

右訴訟代理人弁護士 野間美喜子〈外二名〉

被告 白木輝雄

被告 白木只智

被告両名訴訟代理人弁護士 富岡健一

同 國政道明

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一、当事者双方の求める裁判

(一)  原告

「原告と被告らとの間において別紙目録記載の土地(添付図面のABCおよびAの各点を直線でかこむ土地)を原告が所有することを確認する。被告両名はそれぞれ各自の持分につき原告に対し別紙目録記載の土地について所有権移転登記手続をせよ。」との判決

(二)  被告ら

イ  「本件訴を却下する」との判決

ロ  本訴が適法な訴とすれば、主文第一項同旨の判決

二、原告の請求原因事実

(一)  添付図面上のABCおよびAの各点を結ぶ範囲内の土地(以下本件部分という)は別紙目録記載の土地と表示されているが、これは原告がこれを所有するところである。

(二)  即ち、原告は木曽岬村大字加路戸字中代地の二七四五番三の宅地八二・六四平方米を所有し、本件部分は右土地に属する土地である。然るに訴外木曽岬村土地改良区(以下区という)は、昭和三二年ごろ本件部分が区所有の同所二七四五番一の土地の一部であると誤認して換地処分を行ない、この結果本件部分は別紙目録記載の同村大字外平喜一九一番一の用悪水路一九平方米と表示され、被告らの共有地名義となっているけれども、もともと原告所有の本件部分は換地処分を受けていないから、本件部分が原告の所有であることに変りはない筈である。

(三)  仮に本件部分が前記二七四五番三の土地の一部でないとしても、原告は明治のころから本件部分を含めて右土地を訴外水谷元吉から賃借していたのであるが、水路とは土手をもって区別された状態で、居宅敷地および畑地として使用し、昭和二三年に右二七四五番三の土地を同訴外人から買受け、従って昭和二三年の買受後は所有の意思をもって平穏公然善意無過失に本件部分の占有を続けているから時効により本件部分の所有権を取得していると謂うべきである。

(四)  本件部分が右二七四五番三の土地に属することは、土地改良前の公図のかいち川と区所有のかんがい用水路との関係、南側の道路との平行関係、かいち川東側の水路と田との境界の延長から明らかであるのに、土地改良事業に伴い本件部分の南側の道路を拡張し、水路が消滅することとなるため、この代りに地下ヒューム管を埋めることとなり、区は原告の所有地を侵し、耕地整理の上で解決するといいながら右ヒューム管設置の本件部分を従来から区所有の用水路であったと強弁しているのみである。また被告らは本件部分の元地に当る二七四五番一の井溝八畝一七歩を部落民が総有していることを理由に部落民の総員を被告とする必要的共同訴訟に当るとして本訴を不適法な訴と主張するが、原告は本件部分が原告所有の同所二七四五番三の土地に属することを主張するに過ぎず、右二七四五番一の総有関係を否定するものでないから、必要的共同訴訟というのは当らず、更に区のなした換地処分は旧地の所有者を誤認してなされた点で無効の処分というべきだから、本件部分についての原告の所有権の帰属に影響はないというべきである。

(五)  よって原告と被告らとの間で本件部分を原告が所有することの確認を求め、更に現に同土地について所有名義を有する被告らに対して共有持分の移転登記手続を求める。

三、被告の主張

(一)  本訴の性質

本件部分は、表示上被告らの共有名義となっているが、実体は木曽岬村外平喜部落民一五名(原告、被告両名、以下いずれも訴外の伊藤光雄、加藤茂良、黒宮正明、佐藤伊勢松、服部味津男、伊藤良照、森正敏、加藤清市、加藤常敏、仁村雅彦、白木勉、白木有)の共有ないし総有に属するから、本訴は右総有者の全員を相手とすることを要する固有の必要的共同訴訟に該当するというべきである。従って被告らのみを相手とする本訴は当事者適格を欠く訴として却下を免れない。

(二)  本案についての答弁

イ  原告の請求原因(一)の事実は否認する。本件土地が公簿上別紙目録の土地と表示されていること、原告が二七四五番の三の宅地を所有していたこと、は認めるが、もともと本件部分は右二七四五番の三の土地に属するものでなく、同所二七四五番一の井溝八畝一七歩の一部であり、同土地は木曽岬村加路戸部落民の総有的支配に属し、登記上は昭和二五年三月二九日以降同部落代表者である訴外伊藤某の名義となり、その後同人の相続人伊藤悟名義をへて昭和三四年八月三一日贈与を理由に区の所有名義に移されていたところ、一方もとの木曽岬村大字外平喜字操出二九一番の井溝一二歩、同所二九一番の二の井溝九歩、同所二九一番三の井溝一五歩は、本件部分とは相当離れた場所にあったが、以前から木曽岬村(旧)外平喜部落民の総有地として登記上昭和一〇年三月以降同部落代表者である訴外亡白木文三郎、同白木常三郎の共有とされ、昭和四二年八月一七日以降は同様の資格で被告白木輝雄と訴外白木隆碩の共有名義に、昭和四五年一月三〇日以降は同様の理由で被告両名の共有名義とされており、昭和三二年設立の区は昭和四六年一〇月六日本件部分を含む農用地一帯に換地処分を実施し、前記二七四五番の一の井溝は他の土地とともに同村大字加路戸四四四番一の用悪水路三〇六〇平方米に換地され、前記外平喜字操出の二九一番三の井溝一五坪が別紙目録記載の用悪水路一九平方米とされて本件部分に位置するに至ったものである。従って本件部分は既に別紙目録の土地として換地されているから換地前の本件部分に当る土地の所有権が存続することは有り得ず、(土地改良法第五四条の二第一項により公告の翌日から換地が従前の土地とみなされる)本件部分につき従前の土地所有関係に由来する原告の主張は明らかに誤っている。従前地の境界の論議はも早無意味である。原告は本件部分についての換地処分がないと主張する一方、本件部分が換地後の別紙目録表示の土地であるとして所有権を主張したり、あるいは「二七四五番一の土地の一部であるとして換地処分を行った」と主張してその主張自体矛盾している。仮に原告主張のように本件部分が旧二七四五番三の土地の一部であったにせよ、右二七四五番三の宅地二五坪は他の二筆(二七四一番宅地四七坪、二七四三番宅地四四坪)とともに一八八番の宅地として略等面積の三八三・二平方米(一一五坪九合二勺)に換地されて本件部分外に位置しているのである。

ロ  然もなお、本件部分は旧二七四五番一の井溝八畝一七歩の一部であって古くから外平喜部落民が西南の水田約五町と東方の用排水路を結ぶ唯一の水路敷地として共有しており、原告主張の二七四五番の三の土地に当らなかったことは、附近の樋門の位置、地下の木樋の跡、から判明するところで、原告の根拠とする図面は余りに古くて到底正確さがあるとはいえず、これをもとにして現在の地形に投影することは意味がないというべきである。

ハ  原告の本件部分の自主占有の事実は否認する。前記のとおり本件部分は古くから外平喜部落民の総有する水路に当り、原告がこれを占有していたことはないのであり、然も昭和三二年の埋立直後に原告は本件部分が右部落民共有の井溝であることを承認し、昭和四二年にも更にこのことを再確認しており、終始本件部分について所有の意思をもって占有していたことはない。

ニ  よって原告の本件部分の所有主張は以上のいずれによっても認められないもので、本訴請求は却下若しくは棄却を免れない。

四、証拠《省略》

理由

一、本訴の適法性について

(一)  被告らは本件部分に当る別紙目録記載の土地は被告らを含む一五名の木曽岬村外平喜部落民が総有する土地であるから、同土地についての所有権確認、登記移転の訴は総有者全員を必要的に共同被告とすることを要し、被告らのみを被告とする本訴は不適法な訴であると主張し、《証拠省略》によれば、本件部分は現に別紙目録記載の土地として表示されている一九平方米と略一致し、右一九一番一の土地は、区が昭和四〇年代を中心に実施した土地改良のための区画整理処分によって従前は本件部分とは全く別箇の場所に存した木曽岬村大字外平喜字操出二九一番、二九一番の二、二九一番三の各井溝の換地の一部となっており、右操出の土地はもともとその表示が示すとおり井溝として外平喜の部落民の共同使用するところであったため、便宜利用部落民の代表者二名の所有名義とされており、一方本件部分が換地前に何番地の土地に属していたかは別として、本件部分の東および北に存した水路も附近農民の共有部分であった(登記名義上は代表者名義から区名義と変遷していた)ところから、本件部分を前記のとおり一九一番一と定めた上右操出の二九一番等三筆の土地の換地の一部としたのであって、換地処分を前提とする限り本件部分は登記名義上被告らの共有地となっているが、その実質は右操出の土地を総有していた外平喜の部落民が総有的に所有することになっていることが認められ、そうすると本件訴の結果によっては実質的に外平喜部落民の総有土地が失なわれることともなるので、この意味で被告らの本訴を不適法とする点もあながち無視し得ないけれども、登記上の技術的要請からこうした総有的帰属についての登記が認められない以上登記の抹消を求めるためには、登記上の登記義務者として現に表示されている被告両名を被告とせざるを得ないし、また実質的に考察しても、部落民の複数が被告らを代表者として登記名義人とすることを承諾しているということは、部落総有物についての訴について民事訴訟法第四七条の選定当事者として被告らを選定しているものと同視することができ、総有的地位ある全員を相手方としない以上訴の実質が失なわれる危険があるとの点を強調し過ぎるのは不相当であり、前記認定のとおりの所有関係にある一九一番一の土地についてこれが所有と登記の移転を求める原告が被告両名を被告とした本訴は当事者適格に関する限り適法な訴というべきである。

二、本件部分の所有関係

(一)  本件部分が現に換地処分の結果別紙目録記載の土地として表示されていることは争いのないところであるが、原告は同部分が換地前の同村大字加路戸字中代地二七四五番三の宅地(原告所有名義)に属することを理由に同部分の所有権を主張する。然しながら《証拠省略》によれば、昭和三二年に設立された区はその以前から計画されていた本件部分を含む同村大字加路戸、外平喜、大新田、見入地区の耕地整理を続行し、本件部分附近もその対象となっていたところ、本件部分は、その東方に存在した部落民共同使用、従ってその総有的所有にあるものと認められる水路(通称かいち川)および同じく右水路から本件部分の南西に位置する農地に引く水路と原告の右二七四五番の三の土地の接する部分に当り、同部分が右水路の一部なのか、あるいは右二七四五番の三の土地の一部に当るものであったかは必ずしも明確ではなかったが、区は昭和三二年ごろ本件部分中の一部に当る部分を埋立ててその下の添付図面を結ぶ場所に水路に代るヒューム管(直径六〇糎)を埋め、最終的に耕地整理として本件部分を外平喜一九一番一の用悪水路一九平方米と定めた上、原告所有の右二七四五番の三の宅地二五坪は同所二七四三番の宅地四四坪、同所二七四一番の宅地四七坪とともに、本件部分を含まない同村大字外平喜一八八番の宅地三八三平方米に換地され、一方本件部分の外平喜一九一番一の土地は被告ら共有名義で外平喜部落民が総有していた旧大字外平喜字操出二九一、二九一番の二、二九一番の三の名井溝の換地の一部とされ、前記本件部分の東および南にあった区所有の字中代地二七四五番一の井溝は本件部分とは全く別の場所に当る字加路戸四四四番の一に換地されることとし、右換地計画は、その後に原告からの申し出によって木曽岬村農地委員会同村長らによる調整によって原告が本件部分についての所有権を部落共有とすることについて同意することを表明する等の過程はあったものの、行政上の正規の不服申出の手続もなく、結局昭和四六年一〇月六日の換地処分の終了により同四七年一月二八日登記手続を完了していることが認められ、右認定に反する証拠はない。

(二)  ところで、土地改良法上換地処分の公告によって土地の権利関係は新たに定められた換地によることとなり、従前地の権利関係は消滅することとなっており、従って旧地の範囲を理由とする所有の主張は許されなくなっているものと解するのは当然である。蓋し、換地処分は換地計画全体が一体となっているものであり、個々の土地の存在場所、地積、境界は計画の円満な遂行のため考慮さるべきは当然として、全体としての換地処分が終了してから個々の土地の形状による不満によって換地処分を無視するときは、総合的な換地計画のすべてに波及せざるを得ないから、全体の換地計画が全く無効と解せざるを得ないような場合は別として、換地処分を前提として権利関係を考えざるを得ないからである。これを本件について見るに、本件部分を含む区の耕地整理は既に完了し、本件部分は被告ら名義の外平喜部落民総有の用悪水路として換地されており、仮に本件部分がもと原告所有の二七四五番の三の宅地の一部であったにせよ、同地も既に本件部分とは場所を異にする外平喜一八八番の宅地に換地されているから原告が本件部分について所有を主張することは許されないという外ない。原告は本件部分についての換地は不存在であるというが、右二七四五番の三の宅地自体換地処分を受けていることは前認定のとおりであり、仮に同地の境界の誤認があったにせよ、このことは換地計画自体において調整すべき性質のもので、本件部分の地積と全体の換地との比較から見ても換地計画のすべてを無効とする理由には当らないと謂う外ないから、この点の原告の主張を前提とすることは失当である。

(三)  原告は本件部分が右二七四五番の三の土地の一部でないとしても昭和二三年の同土地の買受後の自主占有による時効取得を主張するが、右取得が昭和四四年の経過により完成したとしても、前示の換地処分によって本件部分についての所有権を主張し得ないことは同一である。

三、結び

以上のとおりであって本件部分に所有権を主張する原告の本訴請求はすべて理由がないというべきなので、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 松島和成)

〈以下省略〉

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